社会2年 世界の歴史

世界史

 世界史
 [要点-ヨーロッパ]
 
 西暦  おもなできごと
 1096年  第一回十字軍
 1492年  コロンブス,アメリカ大陸を発見
 1498年  バスコ・ダ・ガマ,インド航路を発見
 1517年  ドイツのルターの宗教改革
 1519年  マゼラン,世界一周

(1)
中世のヨーロッパ諸国においては,各国のキリスト教会の上に立つローマ教皇が各国の王をしのぐ力を持っていた。

(2)
11世紀の中ごろ,西アジアに,イスラム教徒であるトルコ人の強国が生まれた。
ローマ教皇は,聖地エルサレムへのキリスト教徒の巡礼が,このトルコ人によってさまたげられていると主張し,国王や領主にエルサレムの奪回をよびかけた。

こうして,200年にわたって7回の遠征軍が送られた。
これを十字軍という。
しかし,イスラム教徒の強い反撃にあい,十字軍は失敗に終わった。

十字軍の結果,教皇や領主の力がおとろえ,国王の力が増大した。
また,西アジアとの貿易が盛んになりイタリアの都市が栄えた。

(3)
十字軍は,ヨーロッパ社会にイスラム世界が保存していたギリシャ・ローマなどの文化を見直させるきっかけとなり,イタリアの都市を中心に、新たな文化面での動きをひきおこした。
こうした動きをルネサンスという。

美術では,レオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」,ミケランジェロの「ダビデ」が有名である。

 ヨーロッパの成立



375年ゲルマン人が大移動を始め,ローマ帝国に侵入した。
ローマ帝国は,395年に東西に分裂し,西ローマ帝国は476年に滅亡した。

ゲルマン人はフランク王国などの国を作ったが,
その後,王国はフランス・ドイツ・イタリアのもとになる3つの国に分裂した。

これらの国では,国王の保護を受けて,キリスト教が各地に広まった。
各国のキリスト教会の上に立つローマ教皇は各国の王をしのぐ力を持っていた。

 十字軍
 




11世紀の中ごろ,西アジアに,
イスラム教徒であるトルコ人の強国が生まれた。

ローマ教皇は,聖地エルサレムへのキリスト教徒の巡礼が,
このトルコ人によってさまたげられていると主張し,
国王や領主にエルサレムの奪回をよびかけた。

こうして,200年にわたって7回の遠征軍が送られた。
これを十字軍という。

しかし,イスラム教徒の強い反撃にあい,十字軍は失敗に終わった。
十字軍の結果,教皇や領主の力がおとろえ,国王の力が増大した。
また,西アジアとの貿易が盛んになりイタリアの都市が栄えた。

 ルネサンス
 


 

十字軍は,ヨーロッパ社会にイスラム世界が保存していた
ギリシャ・ローマなどの文化を見直させるきっかけとなった。

西アジアとの貿易でさかえたイタリアの都市を中心に14世紀ごろから,
イスラム文化やギリシャ・ローマ文化への関心が高まり,
キリスト教のしきたりにとらわれない,
自由でいきいきした文化がおこった。
この動きをルネサンス(文芸復興)という。

イタリアではダンテが「神曲」を書き,ルネサンスのさきがけとなった。
美術では,レオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」,
ミケランジェロの「ダビデ像」が有名である。

ガリレオ・ガリレイはコペルニクスが唱えた地動説を証明した。
また,イギリスのシェークスピアは「ハムレット」などの劇を書いた。

 [要点-地理上の発見]
 
スペインポルトガルは,香辛料を求めて直接アジアへ行く航路を求めた。
スペインの援助を受けたコロンブスは大西洋を西へ向かい,1492年アメリカ大陸を発見した。
1498年バスコ・ダ・ガマはアフリカ南端をまわってインドに至る航路を発見した。
さらに1519年マゼランの一行は世界一周に成功した。

 地理上の発見
 


インドや東南アジア原産の香辛料(こしょうなど)は,
食肉中心のヨーロッパ人にとって,
調味料・防腐剤として重要であった。

しかし,香辛料は非常に高価であり(こしょう100gの値段は銀100g),
香辛料を使用することは,王侯・貴族にとっては地位の象徴
でもあったほどである。

当時,香辛料は,インド商人→イスラム商人→イタリア商人と
陸路で運ばれていたが,独占状態であったので,
最終的には原価(輸送費を含む)の4~6倍の値段になり,
イスラム商人やイタリア商人は大きな利益を得ていた。

この利益に目をつけた人々は,
ポルトガルやスペインの援助を受けて,
直接アジアに行く海路を求めて探検に乗り出した。

ルネサンスで天文学や地理学も発達していたが,
スペインの援助を受けたコロンブスは,
地球が丸いという説を信じて西へ行けばインドにたどり着けると考え,
西に向かって航海を行い,1492年に西インド諸島にたどりついた。

スペインはコロンブスの発見した新大陸に進出し,
アステカ帝国,インカ帝国などの文明を滅ぼした。

1498年バスコ・ダ・ガマはアフリカ南端を回って
インドに至る航路を開拓した。

また,ヨーロッパで宗教改革がおこっていた時代,

1519年,マゼランの一行は西回りで世界一周に成功した。
 [要点-宗教改革]
 
16世紀のヨーロッパでドイツのルターは, 免罪符販売などの教会の腐敗を批判し, 宗教改革を始めた。
改革派のキリスト教を新教,その信徒をプロテスタントという。

これに対し, カトリック教会側でも反省がおこり,ロヨラフランシスコ・ザビエルイエズス会を組織して,カトリックを海外に広めた。

 宗教改革
 
 

十字軍が失敗して,教会の権威はおとろえ,
財政も苦しくなってきた。

そこで教会は免罪符というお札を売り出して
資金集めを行った。

これに対し,ドイツの神学者ルターは
信仰)のよりどころは聖書にのみあるとしてこれを批判した。

ルターなどの改革の動きを宗教改革といい,
改革派のキリスト教をプロテスタントという。

ルターらの改革の刺激を受けて,
カトリック教会側でも,勢力を回復するために,
フランシスコ・ザビエルらがイエズス会をつくり,
海外布教などに力を入れた。

 絶対王政
 


ヨーロッパでは,16世紀後半~17世紀に
国王中心の絶対王政という政治のしくみが作られた。

イギリスではエリザベス1世が海軍力でスペインを圧倒し,
1600年には東インド会社をつくり,アジア貿易に乗り出した。

フランスでは,ルイ14世が強力な力をもち,
外国にたびたび戦争をしかけ,アメリカにも植民地をもった。
また,パリの郊外にベルサイユ宮殿を建てた。

17世紀にスペインから独立したオランダは,
首都のアムステルダムが貿易港として栄え,
鎖国下の日本とも,長崎の出島で貿易を続けた。

 [要点-市民革命・産業革命]
 
 年代   おもなできごと
 17世紀半ば  ピューリタン革命(清教徒革命)
 1688  名誉革命:イギリス,権利章典
 18世紀後半  産業革命:イギリスでおこる→「世界の工場」と呼ばれるようになる
 1775  独立戦争:アメリカがイギリスからの独立を求めて戦いを起こす
 1776  独立宣言
 1789  フランス革命,人権宣言を発表
 1804  ナポレオン,フランスの皇帝となる
 1840  アヘン戦争:イギリスと清との戦い→南京条約で香港を譲り受ける
 1851  太平天国の乱:中国
 1857  インド大反乱:インドはイギリス領になる
 1861  南北戦争:アメリカ,リンカンの奴隷解放宣言

(1)
17世紀半ばのイギリスで,クロムウェルを指導者とするピューリタン革命がおこり,議会が王をとらえて処刑し,共和制をしいた。
さらに,1688年名誉革命がおこり,権利章典を定めて国王に国民の権利と自由を尊重することを約束させた。

(2)
イギリスの植民地だったアメリカは,独立を求めて独立戦争をおこし,1776年独立宣言を発表した。
フランスでは,1789年フランス革命がおこり,国民議会は人権宣言を発表した。
その後,ナポレオンが出て皇帝の地位につき,ヨーロッパ全土をしたがえたが,ロシア遠征に敗れて失脚した。

(3)
イギリスでは,18世紀後半,ワットによる蒸気機関の改良などにより産業革命がおこり,「世界の工場」と呼ばれた。
こうして資本主義が成立したが,労働者は労働組合をつくって資本家に対抗し,社会主義の考えも生まれた。

(4)
アメリカでは,北部出身のリンカンが大統領になると,南部は独立を宣言し,1861年南北戦争がおこった。
戦争中,リンカンは奴隷解放宣言を出した。
ドイツでは,プロシアの宰相ビスマルクが中心となって,1871年ドイツ帝国を成立させた。

 清教徒革命・名誉革命
 


16世紀のイギリスでは軍隊を背景に国王の権力が強くなった。
国王による中央集権的な政治を絶対王政とよぶ。

とくに権力が強かったのは女王エリザベス一世の時代であった。
イギリスでは1642年に清教徒革命が起こり,
1649年に国王が処刑され共和制がひかれた。

しかし,政権をにぎったクロムウェルの独裁政治は
人々の不満をまねき,その死後,王政が復活した。

1688年に名誉革命が起こり,
国王を追放した議会は新しい国王を迎えて
国民の権利と自由を守ることを約束させた。

 アメリカ独立戦争
 


イギリスの植民地であったアメリカは,
1775年に独立戦争を起こした。

当時イギリスと対立していたフランスはアメリカを援助した。
1776年には,独立宣言を出し,
総司令官のワシントンを初代の大統領に選んだ。

独立戦争に勝ったアメリカは,
人民主権,連邦制,三権分立を柱とする合衆国憲法を制定した。

 フランス革命
 


フランスでは,17世紀の後半,
ベルサイユ宮殿をつくったルイ14世の時代が
絶対王政の最盛期であった。

この頃のフランスでは,
僧や貴族が様々な特権をもついっぽうで,
平民は苦しい生活を強いられていた。

1789年,バスチーユ牢獄襲撃事件をきっかけに,フランス革命が起こった。

「人は生まれながらに自由で平等な権利を持つ。」(第1条),
「主権のみなもとは,もともと国民のなかにある。」(第3条) は
このときに出された人権宣言である。

革命の影響が及ぶのをおそれたまわりの国々が
フランスに攻め込んだが,
革命政府は,農民や市民から兵をつのって防戦するとともに,
王政を廃止して共和国となることを宣言し,
国王ルイ16世を処刑した。

こうした中で軍人のナポレオンが政権をにぎり,
1804年にフランス皇帝になり,
一時はヨーロッパのほとんどを征服した。

 啓蒙思想
 


ロックは17世紀のイギリスの思想家で,
人間は生まれながら,自由・平等であると説き,
社会契約説をとなえた。

18世紀のフランスでは,国王の政治を批判し,
民主主義を主張する啓蒙思想家があらわれた。
モンテスキューは「法の精神」で三権分立をとなえ,
ルソーは「社会契約論」で人民が法律をつくるべきといった。

 産業革命
 


18世紀のイギリスでは,インドの良質の綿布に対抗するために,
紡績機や織機があいついで発明,改良され,
綿織物業から産業革命が始まった。

また,ワットによって蒸気機関が改良され,
動力に用いられるようになると,
工場制手工業にかわり,工場制機械工業がおこってきた。

19世紀にイギリスは,その繁栄ぶりから
「世界の工場」とよばれた。

 資本主義の社会
 

18世紀のイギリスでは,産業革命によって,
資本を持つ者が労働者をやとって
利潤第一に経営する資本主義のしくみが広まった。

資本主義の発展によって,物が豊かになり,
生活も便利になり,都市も発達した。

しかし,資本主義社会では,
弱い立場の労働者が低賃金で長時間の労働をしいられた。
そして,貧富の差や労働災害,公衆衛生をめぐる社会問題がおこった。

労働者は労働条件の改善をもとめて労働組合を結成した。
また,資本主義を批判して理想の共同体思想をめざす
マルクスなどの社会主義の考え方が生まれた。

 19世紀の欧米諸国
 


アメリカでは,自由貿易や奴隷制をめぐって北部と南部が対立していた。

早くから商工業が発達していた北部は,
その保護のため,輸入品に高い関税をかけることを求めた。
また,工場労働者を確保する必要もあって,黒人奴隷の解放をとなえた。

これに対し,南部は,綿花などの農産物の輸出をさかんにするために,
輸入品の関税を高くすることに反対した。
また,南部では綿花の栽培が行われていたが,
綿つみのためにアフリカから連れてこられた黒人を
奴隷として使っていたので,奴隷制を守ろうとした。

北部の立場を代表するリンカーンが大統領に当選すると,
南部は合衆国からの分離を宣言し,
1861年,南北戦争が起こった。

北部側の大統領リンカーンは,奴隷解放宣言を出した。



イギリスでは産業革命後,
資本を持つ者が労働者を雇って生産を行う
資本主義経済のしくみができあがった。

イギリスは「世界の工場」とよばれ世界経済の中心になり,
経済力を背景に自由主義が広まり,
保守党と労働党による二大政党政治が行われた。

遅れて近代化を始めたドイツは,
鉄血宰相といわれたビスマルクの指導のもと,
工業化の進んだ軍事大国をめざす富国強兵策(鉄血政策)を進めた。

ロシアは皇帝の専制政治が続いた。
1853年,ロシアはイギリス・フランスと
クリミア戦争で戦って敗れたが,
その後,近代化の必要性を痛感し農奴解放を行った。

 [要点-ヨーロッパのアジア侵略]
 
(1)
イギリスは清から茶や絹などを輸入していたが,支払いの銀が不足したために,インドでつくらせたアヘンを清に輸出した。
清がアヘンの輸入を禁止したため,イギリスは1840年アヘン戦争をおこし,清を降伏させ,南京条約を結んだ。
この条約でイギリスは香港をゆずり受けた。
さらに翌年には,イギリスに領事裁判権を認め,清に関税自主権がない不平等条約を結んだ。
清では開国後,経済が混乱し,洪秀全を指導者とする太平天国の乱がおこった。

(2)
18世紀末~19世紀にかけて,イギリスはインドの支配地域を広げた。
1857年インド大反乱がおこったが,鎮圧された。
その結果,インド皇帝は退位させられ,インドはイギリスの領土となった。

 アヘン戦争
 
 

イギリスは清から茶や絹を輸入し,大幅な輸入超過であった。
そこでイギリスは,綿製品などの工業製品をインドへ売り込み,
インドで作らせたアヘンを清に密輸で売り込む三角貿易を行った。

アヘン患者が増加し,貿易赤字が大きくなった清は
アヘンの輸入を禁止した。
これに対し,1840年イギリスは艦隊を送り清を屈服させた。
これをアヘン戦争という。

1842年に南京条約が結ばれて,イギリスは清から香港を譲り受けた。
南京条約は,領事裁判権(治外法権)を認め,
関税自主権(輸入品の関税率を定める権利)が清にないことを
内容とする不平等条約であった。

アヘン戦争後,
賠償金支払いなどのために清は農民に重税を課したので,
洪秀全を指導者とする反乱がおこり,
反乱軍は太平天国という国を建てた。
清は14年がかりでこの反乱を抑えた。

 インドの大反乱
 


イギリスの東インド会社に雇われていたセポイというインド兵が反乱をおこし,
農民なども加わって反乱は全国に広がった。
これをインドの大反乱(セポイの乱)という。

これを鎮圧したイギリスはムガール帝国を滅ぼし,
インドをイギリスの領土とした。


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